沖縄の伝統的な女性タトゥー「ハジチ」の魅力と歴史

沖縄消えるタトゥー専門店mim drawingです。
今回は、沖縄のタトゥー文化に焦点を当て、その中でも特に興味深い「ハジチ」についてご紹介したいと思います。

針突(ハジチ)とは?

ハジチは”沖縄女性の手の甲に彫られていた特有の模様のタトゥー”のことです。そのデザインは地域によって違いがあり、手の甲のハジチをみて”どの島、地域の出身か”がわかったと言われています。女性の間で流行し、幼い頃から少しずつタトゥーを入れて、結婚適齢期頃には両手首〜甲に特有の伝統的模様のハジチを完成させていたそうです。

ハジチの歴史

16世紀頃からハジチは確認されていたこの文化は、沖縄がまだ日本国ではなく「琉球王国」という別の国だった時代に行われておりがありました。しかし、1879年に日本の一部沖縄県となり、第二次世界大戦の影響などもあり沖縄の方言同様に制限を受けるようになります。そして「琉球処分」から20年後の1899ハジチは悪習として、「入れ墨禁止令」が施行され、取り締まりの対象となり徐々に消えていってしまったのです。

 

ハジチを入れた理由

ハジチを入れる理由は時代や地域でさまざまでしたが、一番有名なところで言えば「既婚者の証」と言うものでした。実はその他にも以下のような理由もあったようです。

娘を守るため

沖縄は琉球王国から日本になった後、本土からきた役人などに女の子が連れていかれることもあったようです。当時ハジチは本土からは「野蛮な文化」と思われており、ハジチが手の甲に入っていると「ヤマトに連れて行かれない」ということもあったそうです。そのため娘を連れて行かれたくない親は、ハジチを入れたとされています。

あの世への通行証

「ハジチがないと”ぐそー(あの世)”にいけない、成仏できない」という考え方があり、ハジチはあの世への道しるべと信じられていたそう。

美の象徴・憧れ

当時の沖縄は多くの女性にハジチが入っており、女の子達からはハジチは大人の女性への憧れの象徴、自慢でもあったそう。

通過儀礼

幼い頃から少しずつ完成させるハジチは、成人の象徴としても見られたそうです。

婚姻の印

既婚のしるしや婚姻の印としても、ハジチは使用されました。

ハジチの消滅

16世紀頃から受け継がれていたハジチ文化は規制により消滅しました。「入れ墨禁止令」により、ハジチを入れる彫り師「ハジチャー」への罰則、また秘密裏に続けられていたハジチも入れた後に罰則を受けたことにより、入れる人が少なくなっていったようです。罰則とされてしまったため、沖縄の人自体の入れ墨への意識も変化があり、特に後半は「ハジチは恥ずかしいもの」として、着物の袖に両手を隠していた女性も多かったようです。”憧れ”の象徴であったはずのハジチが、”恥ずべきもの”にまでなってしまったことはとても悲しい事実だと思います。

まとめ

沖縄のハジチは、かつての沖縄の女性たちがしていた伝統的なタトゥー文化であり、そのデザインと歴史は非常に興味深いものです。今日の世代はみんなが知っているものではありませんが、少しずつリバイバルしてきている流れもあります。特に若者を中心にこの文化の見直しがされてきているようです。手の甲にタトゥーを入れることは日本になった沖縄では、簡単にできることではありませんが、その文化の魅力と価値を理解し、沖縄の多様な文化遺産に敬意を表することは重要だと思います。

当店の取り組み

当店では2週間で消えるジャグアタトゥーで沖縄の文化体験。継承を行なっています。最近では成人式や結婚式での琉装と合わせてハジチの施術を依頼するお客様も増えてきています。伝統的な文化やアートにも敬意を払いながら、お客様の個性を引き立てる消せるタトゥーを提供します。
沖縄のハジチ文化に興味を持った方は、ぜひお気軽にご相談ください。文化の一端を共有できることを楽しみにしています。

 

※ハジチ片手希望の場合→Mサイズで予約、ハジチ両手希望の場合→Lサイズでご予約お願いします。